横線青
Silly Talk

潮騒の島

地元のマリコン(海洋土木)K社のK常務と鳥羽港で待ち合わせ、神島行きの定期便に乗り込んだのが朝10時前。港のケーソン解体の事前調査はすぐに終わり、11時過ぎの帰り便に乗船する気にはなれず次の15時便迄散策を決めこんだ。作業服なので測量の写真でも撮っているのだろうと怪しまれることもない。建て増しした違法建築物のように徐々に広げられたと思われる不規則な路地裏は迷宮のようでもあり、突然目の前に広がった墓地は、海を舞台にみたてたアーチ状の観客席のようでもあり、墓石というのは人間の姿のようでもあるなと、ひとり納得した。
ここは正しく島である。橋の出来た島はもはや島ではないと考えるからである。ご先祖達が外部との接触を嫌い、わざわざその土地に根付いたとしたら、橋とかトンネルというのは彼らに謂わせれば、「おいおい、奴らが来るがな。いかんがな。」ということになるだろう。土着となったその魂はその失望の橋を渡って何処かへ消えてしまわないか。
帰りの便迄もう少しある。焼き飯を肴に酒を飲み、K常務、職人さん達と乗船した。鳥羽港を寝過ごしてしまい、終点の小さな港でほろ酔って途方にくれていると、K常務が笑いながら車の窓越しに私を手招いてくれていた。

ある老犬のデジャヴー

犬というのは、大概車好きなものです。犬の一つの能力なのでしょう、実家にいた犬は、うちのいすゞとお隣のダイハツの軽トラのエンジン音を完璧に聞き分けていました。野良仕事に借り出され荷台でふてくされる少年のわたしを横目に、犬は鼻先で風を心地良さそうに受け止め、散歩の時であればいがみ合うそこらの犬達を完全無視、ご満足そうに威張っているのでした。しかし、ある日より一度のジャンプでは荷台に飛び乗れなくなり、自力での乗車さえ出来なくなると同時に精彩を欠き始め、定期的に痙攣の発作を起こし、やがて亡くなりました。飛び乗りに失敗した時、犬は尾を丸めその不様さを恥じ、間もなく乗ることを諦め、その衰えの自覚は老いに拍車をかけたかのようでした。
かつては登山家の主人と日本中の山を駆け、彼の店の看板娘であったこのハスキーも自力でワゴン車に乗れなくなってからは引き篭もり生活が続いていますが、年2回のキャンプには顔を出します。歩行が困難なためテントの横でただ座っているだけなのですが、その場所の陽だまりの暖かさ、枯れ草の匂い、ざわめく雑木林の音などがかつて訪れた山山のそれらと一致した瞬間、もはや目のみえない彼女は、主人の歩く先を駆け巡った、あの時の風景を無意識に想っているに違いないと思うのです。