スティービー・ワンダーが黒人たちの苦境を歌い上げた“Living for the city”という曲がある。クラブでのDJでヒップホップのインストメンタル・トラックとよくブレンドしていた。その歌詞の中で「her clothes are old but never are they dirty」(彼女の服はお古だったけど、いつも小奇麗で清潔だった、というかんじか。)というフレーズが好きで、このパートをしつこくスクラッチした。バンコクの市内を地下鉄まかせに歩き廻り、充分猥雑だがタイでは平凡な商店街で少女を見かけた。前出のフレーズを呪文のように唱えながらシャッターを切った。
野良仕事を終え、昼に一合程の焼酎を飲み、この仏間で昼寝をするのは私が幼少の頃から続く父の夏の日課。緊張感のない空間の気を感じ取り、そこに添寝をすることはこの2匹のみならず、この家代々の猫達共通の夏の日課。頭上には父の記憶にはない私の祖父の軍服姿の遺影が掲げられ、父の寝顔は安堵感に包まれた少年のようだ。
さて、そろそろ閉店の時間である。
禁漁期に入ろうとする秋の早朝の釣りに向け、夜中の移動を考えていた店の主人は片付けに入る。しかし彼女はメスの体に癒着したアンコウのオスのように地べたへ溶解し始めており、店の主人は釣りをあきらめ、他にも溶解しつつある客がこの日一番高いワインボトルを注文するのを不機嫌な顔で受ける。
いとこが昨年の秋に40代の若さで他界した。葬儀に、前々妻、前妻、恋人とその子供たち6人が一同に介す。まだ20代の恋人の号泣姿を前妻が冷めた目で見つめる。九州で会社社長と再婚し、この日父親の最後の姿を見せに娘を連れてきた前々妻は、非常に落ち着いた様子。故人の母親とその妹である私の母親が、代わる代わる彼女達を気遣う。
ここに噂の韓国人妻とその子供が登場しないかなと私は密かに思ったが、そのようなドラマチックな展開が起こることはなかった。
地元のマリコン(海洋土木)K社のK常務と鳥羽港で待ち合わせ、神島行きの定期便に乗り込んだのが朝10時前。港のケーソン解体の事前調査はすぐに終わり、11時過ぎの帰り便に乗船する気にはなれず次の15時便迄散策を決めこんだ。作業服なので測量の写真でも撮っているのだろうと怪しまれることもない。建て増しした違法建築物のように徐々に広げられたと思われる不規則な路地裏は迷宮のようでもあり、突然目の前に広がった墓地は、海を舞台にみたてたアーチ状の観客席のようでもあり、墓石というのは人間の姿のようでもあるなと、ひとり納得した。
ここは正しく島である。橋の出来た島はもはや島ではないと考えるからである。ご先祖達が外部との接触を嫌い、わざわざその土地に根付いたとしたら、橋とかトンネルというのは彼らに謂わせれば、「おいおい、奴らが来るがな。いかんがな。」ということになるだろう。土着となったその魂はその失望の橋を渡って何処かへ消えてしまわないか。
帰りの便迄もう少しある。焼き飯を肴に酒を飲み、K常務、職人さん達と乗船した。鳥羽港を寝過ごしてしまい、終点の小さな港でほろ酔って途方にくれていると、K常務が笑いながら車の窓越しに私を手招いてくれていた。
従兄の一周忌の初盆の日、親戚の子供らが集まると聞き、今のうちに手なづけておこうと昼用の花火を買い込みました。その昔の従兄に倣って、落下するパラシュートを「取ってきた奴には100円やるど〜」と提案しますと、皆さん大ハリキリ。盛り上がったところでロケット花火がよその家に向かったため、ばあちゃん(わたしの叔母)に叱られる長女の息子。叱られるべきなのはこのわたしなのですが、後ろのボクたちのように無関係を装ってしまいました。ごめんなさい。
この人はヤクザになるかもしれないと思った京都の先輩とその息子の入浴風景を見て、安心と共に少しうらやましくも思った。
父親との確執から彼が家を飛び出している間、父親は末期のガンとなり彼が戻ったときはモルヒネの影響で会話ができる状況ではなかった。彼が、とあるバーの横に座った身も知らぬ若者のi-Podをいきなり、“こんなもので音楽聴きやがって”と取り上げ床に踏んづけたことと、父親との確執が生前に終わらなかったことは全く関係ないはずだが、あると私は思った。
子供と一緒に風呂に入ることは端からみると他愛も無いことであるが、彼にとっては非常に大切なことと私は思った。
犬というのは、大概車好きなものです。犬の一つの能力なのでしょう、実家にいた犬は、うちのいすゞとお隣のダイハツの軽トラのエンジン音を完璧に聞き分けていました。野良仕事に借り出され荷台でふてくされる少年のわたしを横目に、犬は鼻先で風を心地良さそうに受け止め、散歩の時であればいがみ合うそこらの犬達を完全無視、ご満足そうに威張っているのでした。しかし、ある日より一度のジャンプでは荷台に飛び乗れなくなり、自力での乗車さえ出来なくなると同時に精彩を欠き始め、定期的に痙攣の発作を起こし、やがて亡くなりました。飛び乗りに失敗した時、犬は尾を丸めその不様さを恥じ、間もなく乗ることを諦め、その衰えの自覚は老いに拍車をかけたかのようでした。
かつては登山家の主人と日本中の山を駆け、彼の店の看板娘であったこのハスキーも自力でワゴン車に乗れなくなってからは引き篭もり生活が続いていますが、年2回のキャンプには顔を出します。歩行が困難なためテントの横でただ座っているだけなのですが、その場所の陽だまりの暖かさ、枯れ草の匂い、ざわめく雑木林の音などがかつて訪れた山山のそれらと一致した瞬間、もはや目のみえない彼女は、主人の歩く先を駆け巡った、あの時の風景を無意識に想っているに違いないと思うのです。